創造の城とふるさとの河
富山のふるさとに関する事、謎や神秘、真実の追求
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神通川の由来 その3
では今度はなぜ「神通川」とよばれるようになったのか調べてみよう。

これまた調べれば調べるほど、それはもう多くの説が出てくる。
名前が「神が通る川」というだけに、やはり神様にまつわる伝承、神話的な話が多い。


【1】
まず最初に一番有名な説。
これは神通川でも岐阜県宮川の源流に近い水無神社付近での伝承。
国土交通省ホームページの河川紹介に載っているのもこれ。

「むかし飛騨の仙人が川の付近の山中で修行していた時、お経を読むのに川の水音がうるさかったので、神通力で龍王を呼び出し、水の音を止めるように言った。すると川の水は地中にもぐり、約二里(約8キロ)にわたって水が無くなってしまい、水音が聞こえなくなった。
これを知った人々は、その仙人の神通力に驚嘆し、以来その川を神通川と呼ぶようになったという。」

この川の伏流のはなしは、水無神社の由来にも関係しているようである。
ただこの話は宮川源流の地域のはなしであり、だとしたら源流から全て神通川となったのなら分かるが、なぜ富山県領域のみ神通川なのかという疑問が残る。


【2】
次に、神が通る川の由来として一番それっぽいはなし。
神通川、宮川、高原川を含め、川沿いには「津」が付く地名が現在でもいくつかある。
船津(ふなつ)、寺津(てらづ)、今生津(いもづ)、笹津(ささづ)。
「津」は船着場の意味である。

「太古の昔、神々は飛騨神岡の船津から乗船し、越中の笹津に着船されることが例であった。
当時の川は満々たる水量で、船運に富んでいた。」

古来神通川は、飛騨と越中を結ぶ重要な交通ルートであり、物資の運搬ルートでもあった。
昔は川の水量も多く船がよく活用されたらしい。
神々が船で通った川だから神通川とよばれるようになった、ということである。
ここでは神々と神格化されているが、実際は先祖や高貴な人の意味だと思う。


【3】
次は富山の伝説の中でもかなり有名な話、姉倉姫(あねくらひめ)の伝説を由来とするもの。

富山市大沢野町舟倉にある姉倉比売神社は織物神である姉倉比売命を主祭神とする。
「むかし舟倉山(ふなくらやま・今の猿倉山もしくは御前山)に姉倉姫という神がいた。姉倉姫は能登の補益山(ふえきやま・今の石動山)の神、伊須流岐彦(いするぎひこ)と夫婦であった。しかし伊須流岐彦は、近くにいた能登の杣木山(そまぎやま)の神、能登姫にそそのかされ、恋仲になってしまった。怒った姉倉姫は国中の兵士を集め能登姫征伐の軍を起こした。一方能登姫も徹底抗戦の構えをみせた。姉倉姫は布倉山の神、布倉姫を助っ人に加え、また能登姫も加夫刀山の神、加夫刀彦(かぶとひこ)を助っ人に加え、ここに越中・能登をまたいだ敵味方入り乱れる大戦乱となってしまった。
この事態を知った高天原の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は大変驚き、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)に、この越の争いを鎮めるよう命じた。
大国主命は見事この戦乱を鎮圧し、伊須流岐彦と能登姫はともに海に流された。一方姉倉姫は呉羽山西麓の小竹野(現JR呉羽駅前の姉倉比売神社らしい)に流され、越中の女性たちに糸つむぎと機織りを教え罪を償うよう命ぜられた。罪を償い終えた姉倉姫はその後元の舟倉山へ帰ることができた。」

という伝説である。長くなってしまったが、ようするに姉倉姫と伊須流岐彦夫婦が川を通って交流したことや、また最後姉倉姫が呉羽山まで川を流され、その後舟倉山へ戻ったという経緯から、神が通った川、神通川となったらしい。


【4】
鵜坂の神(鵜坂神社)と、塩の神(多久比礼志神社)の交遊によるもの。

鵜坂(うさか)神社は、富山市婦中町鵜坂、神通川西岸にある。また多久比礼志(たくひれし)神社は、鵜坂から約8kmほど南へ行った所にある富山市塩、神通川東岸にある。どちらも延喜式神名帳に載る越中三十四座(式内社)の一つである。
鵜坂神社は婦負郡発祥の神として知られる。鵜坂について、昔神通川には鵜が沢山生息しており、大伴家持の歌にもみえるように鵜飼いが行われていたということから、この名がついたと言う説がある。

また多久比礼志神社に伝わる塩の伝説がある。
「672年に林弥鹿伎(はやしのみかき)という人が神通川を船で遡上していると、白髪の老人が現れて「向こうの川辺の松の木の所に泉がある。水は塩味を帯びているから、きっと塩が取れる。塩は貴重だから人々は大きな恩恵を受けるだろう」と教えてくれた。弥鹿伎は早速泉を見つけ、水を煮詰めてみると、立派な塩が取れた。弥鹿伎は老人が神であったことを知り、そこに神殿を作って祀った。これが多久比礼志神社の由来であり、またこの地の地名「塩」の由来でもある。」

多久比礼志神社社伝に「鵜坂神と塩の神が交遊されたから神通といい、また宮川ともいう」とあるらしいが、それ以上の詳細は不明。


【5】
鵜坂の神(鵜坂神社)と、松尾の神(松尾神社)の交遊によるもの。

鵜坂神社については上記を参照。松尾神社は富山市布瀬町、ちょうど鵜坂神社と神通川を挟んで対岸にある。
鵜坂神社は神通川に面し、松尾神社は川を後ろにしていたが、鵜坂の鳥居は川に面して建てられ、両社が相対していたので、神々の交遊のためだと言われていた。現在鵜坂の鳥居は堤防上にはなくなった。


【6】
最後に神様とは関係のない説。
神通川の東には常願寺川(じょうがんじがわ)があり、西には六渡寺川(ろくどうじがわ)がある。神通川はその間にあるので、おそらく神通と名の付く寺が昔あったのではないか、ということらしい。
六渡寺川とは現在の小矢部川と庄川のことである。(かつて小矢部川と庄川は途中で繋がっていた)
これは明治35年刊行の大日本地名辞典を編纂した歴史地理学者吉田東伍博士の説であり、また地元国文学者の志田延義博士も同意だったという。
現在高山市に神通寺という寺があるが、調査の結果創建時期が江戸時代の文化、文政の年代(1804〜1831)であったことから、神通川の起源でないことが判明した。したがって現在のところ神通川の名前の由来となるような神通と名の付く寺の存在は確認されていない。

富山県の河川名の通例は、多くが上流名を河川名としている。また同時にほとんど土地先の名前ででも呼ばれている。
しかし神通川と常願寺川は例外のようである。常願寺という寺名についても、かつて実在したらしいが、川の名前の由来がこれによるものかどうかははっきりしない。



<参考文献>

・伝説とやま 編:北日本放送(株)/1971年
・越中傳説集 著:小柴直矩/富山県郷土史会/1959年
・大久保町郷土誌 編:大久保町誌編纂委員会/1954年
・大沢野町史 編:大沢野町史編纂委員会/2005年
・神通川と呉羽丘陵 著:廣瀬 誠/桂書房/2003年
・角川日本地名大辞典 16 富山県/角川書店/1979年
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県/角川書店/1980年
・富山県史 通史編1 原始・古代/富山県/1976年
・越中富山地名伝承論 著:中葉博文/クレス出版/2009年
・国土交通省ホームページ
・Wikipedia
・その他ウェブサイト





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